Hidetaka Tanaka
日本人初の有人宇宙システムである国際宇宙ステーション取付型日本実験モジュール「きぼう」の開発提案から打ち上げまで従事。
米国の月面着陸計画等の宇宙への挑戦に刺激を受け、宇宙開発に尽力できることを目指した。ミシガン大学航 空宇宙工学科留学後、帰国後学位を取得し三菱重工(株)入社し、名古屋航空機製作所宇宙機器部でH-1 ロケットの概念 設計、スペースシャトル実験機器従事した。米国からの宇宙ステーション開発をライフワ-クと決め、日本発の有人宇宙システム開発に取り組んだ。米国三菱重工 NASA ジョンソンスぺ-スセンタ-技術調整事務所長に就任。 米、加、ヨーロッパ、ロシアと国際間技術調整に従事した。
宇宙航空研究開発機構 NASA ケネディスペースセンター射場 責任者代理として、打上げまでの射場作業に従事した。
現在(2020年10月時点)は、名古屋大学 大学宇宙工学専取り組みを、特任教授となり 「フロンティア宇宙開拓リーダー養成プログラム」を担当し、「フロンティア宇宙」を目指す人の育成に励む。
これからの社会変革と共に、宇宙からの視点を大事にし、広い視野を持つことの大切さを語る。
Hinako Yamazaki
1996年3月生まれ。山崎 姫菜子(やまざき ひなこ)。岐阜県多治見市在住。"可愛い"で地球を守る!海洋マイクロプラスチックアクセサリー「sobolon」代表、勾玉セラピスト認定講師。
「地球環境を守りたい」という想いを叶えるべく、2019年3月に中学の同級生3人とともに、"可愛い" で地球をすくう、海洋プラスチックアクセサリー「sobolon」を立ち上げる。海洋汚染の要因となっている海洋プラスチックを回収し、それらを素材としたアクセサリーを製作するという取り組みについて、その斬新さや共感性が話題を生み、新聞・ウェブニュース・テレビメディアに多数取り上げられ、名古屋人間力大賞ではグランプリを受賞、人間力大賞TOYPではファイナリストに選出。
現在は、地球環境を守るためには、私たち一人一人の心が平和で穏やかであることが大切であると考え、sobolonとしての活動の傍ら、潜在意識や集合意識を扱う勾玉セラピストとしての活動も行っている。
Kota Yanaidani
高校生活が嫌になり、逃げ出すために世界一周しようと決意。リアルクラウドファンディング、プレゼン大会Dreamでの優勝により資金を集め、世界一周へと飛び立つ。その後、通信高校を卒業し、二度目の世界一周を成し遂げる。現在はバンド活動、古着屋の運営など、様々な世界を見る中で生まれた、自分のやりたいことに精力を注いでいる。
Shogen Ueda
1986年3月に京都で生まれる。大学卒業後普通のサラリーマンとして名古屋の化粧品会社に勤めていたが、ある日雑貨店でふと目にしたタンザニアアート「ティンガティンガ」に魅了され、自身もこの絵を一生涯かけて描くことを決意する。翌日勤めていた会社を退職し、2014年に事前のコネクションや語学力なしで単身アフリカに渡る。
Takuya Yamada
1990年北海道紋別郡遠軽町出身。弘前大学在学時に「やりたいことをやりたい様に表現する」をテーマとした『Hiromaru』を仲間と共に立ち上げ、「学生と地域をつなげる情報誌」としてフリーペーパーを発行。その他にも地域と連携したイベントを参加、開催する。その後東京の大手企業に就職、異動の関係で居住を名古屋に移す。
名古屋での生活当初、この街の魅力を見つけようとしていたところ、大ナゴヤ大学と出会い、「まだ誰にも知られていないこのまちの魅力を発信したい」という思いを抱き始める。2017年会社を退職して、フリーランスとなる。
現在はNPO法人大ナゴヤ大学三代目学長として「ヤマタク」という愛称で親しまれる。名古屋市を中心とした愛知・三重・岐阜やその周辺エリアをフィールドに、まちにあるヒト・モノ・コトを題材に学び合いの場をつくる、「場づくり」の人として活動中。
Yumiko Ishiguro
1983年10月生まれ。幼少期に交通事故に遭い、顔を800針も縫う大けがを負う。病床で出会ったシンクロナイズドスイミングに惹かれ、翌年からシンクロを始める。様々な障害を親子二人三脚で乗り越え2008年北京オリンピックに日本代表選手として出場。
引退後は、自身の体験を『夢をあきらめない』とのテーマで講演活動を開始。
全国の小中高大学や警察消防自衛隊など、様々な方面で講演依頼をいただく。2020年までに延べ400講演を達成。
2017年、競輪選手野口正則と結婚。その後、二児を出産。現在は、働くママとして子育てに仕事に、活躍中。